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コラム

印刷いまむかし現代編②カラースキャナーと電算写植機  ~印刷とコンピューター~

印刷の歴史

【印刷いまむかし現代編】では、第二次世界大戦後から現代にかけて、印刷技術の進化について紹介します。
第一回では、凸版印刷・オフセット印刷・シルクスクリーン印刷が効率化されていく様子を紹介しました。
第二回の今回は、1970年代から1980年代にかけて登場した2つの技術「カラースキャナー」と「写植機」について紹介します。

手作業の分色 三色フィルター分解

カラーの原稿を印刷するときには「分色」という作業が必要になります。
どの色でどれだけの範囲を、どれだけの濃さで印刷するのかを見極めないと、版が作れないからです。
カラーをCMYKのかけ合わせで表現するには、カラー原稿をシアン・マゼンタ・イエロー・ブラックの4色に分解しなければなりません。

ここで、暗記勉強をするときに使われる、赤や緑のフィルムを思い出してください。
赤フィルムを通すと、赤や黄色の文字が消え、青文字が濃く見えます。
逆に緑フィルムでは青や黄色の文字が消え、赤文字がよく見えるようになります。
カラー原稿をシアン・マゼンタ・イエロー・ブラックの4色に分解するときにも同じ現象を利用します。
カラー原稿に赤・緑・紫色のフィルターをかけて撮影すると、それぞれシアン・マゼンタ・イエローの色だけを抜き出すことができるのです。
なお、ブラックは黄色のフィルターを使ったり、赤・緑・紫の3つのフィルターを組み合わせたりして抜き出します。
出来上がった4枚のネガをポジにしてレタッチを繰り返し、版に焼き付けると、カラー印刷の版が完成します。
これが三色フィルター分解。
1枚のカラー原稿を版にするためには最低でも4回は撮影する必要があり、それだけ手間がかかるうえに、ネガ用のフィルムも大量に必要でした。

カラースキャナーとは

1960年にアメリカで実用化されたカラースキャナー(電子製版機)は、カラー印刷を大幅に効率化させました。
なんとカラー原稿に光をあててスキャンするだけで、シアン・マゼンタ・イエロー・ブラックにカラーを分解することができるのです。
さらに読み取った画像情報はデータ化してパソコンに転送し、画像のグラデーションを網点に変換する「網掛け」作業や色修正などのレタッチもできてしまうのです。
日本では1963年から64年にかけて、大手印刷会社4社が共同出資してスキャナーを購入したというのですから、この発明がどれほど画期的だったのか伺えます。

カラースキャナーによって変わったこと

図1 『装苑』22(1), 文化出版局, 1967.1

カラースキャナーが実用化された1960年代は、ちょうど週刊誌ブームのさなかでした。
カラースキャナーは雑誌のカラーページを支え、カラー印刷の需要を拡大させました。
しかし、そのわずか10年後にレイアウトスキャナーが登場します。
レイアウトスキャナーはカラー原稿をスキャン・レタッチするだけでなく、複数の写真や線画、文字などをスキャナーに繋がったブラウン管に映し出し、そこで編集・レイアウトして最終的な印刷版を作ることができるのです。
つまり、複数のカラー原稿や文字原稿から版を作るまでの作業が、レイアウトスキャナー1台で出来てしまうということ。
製版工程が人間の作業から、コンピューター上での作業に取って代わってしまいました。
しかし文字の印刷においては、レイアウトスキャナーではまだ読みにくかったようです。
また、本文部分は文字の変更や直しが頻繁に起こるので、生産性が落ちるという問題もありました。
カラー印刷はカラースキャナーによって大きく進化しましたが、文字の印刷で活躍したのは、日本で生まれた技術である電算写植です。

写植機が登場するまで

1440年にグーテンベルグが活版印刷を発明して以来、凸版印刷技術は印刷の中心でした。
活版印刷は重い鉛製の活字を使ううえ、組版が複雑で熟練の職人に支えられていました。

写植機とは

写植機とは写真植字機の略で、文字を写真的に撮影する機械のこと。
写植機は日本が世界に先駆けて1924年に試作機を発表し、1930年に実用化しました。

写植機の文字盤

写植機は活字を使わず、ネガフィルムに一定のサイズの文字を入れ込んだ「文字盤」から使用する文字を探します。
文字盤にレンズを通して必要なサイズに拡大し、光を当ててシャッターを切ることで機械内にセットされた印画紙に文字を印字する仕組みです。
印字した文字列は製版カメラで撮影し、ネガフィルムにして版に焼き付けます。
写植機では文字の大きさだけでなく斜体などに文字の形を変えたり、縦・横・斜め、または円弧状など自由に文字を組んだりすることができます。
活字にはできない文字の表現が可能なのです。
戦前の写植機は写真やイラストのキャプション程度には使われていましたが、ページそのものを組版するといった使い方をするには、使い勝手も品質も今一つだったようです。

写植機の問題点

写植機のメインの文字盤には約3000文字が収容されており、さらに約270文字が収められたサブプレートが複数枚使われていました。
文字盤から使用する文字を探し出すのはまさに職人技。
パソコンのようにBack spaceボタンはないので、一度印字した文字は取り消せず、間違った場合は印画紙を現像した後に、手作業で正しい文字を貼りなおしていました。

電算写植とは

写植機は活字を組むよりは便利とはいえ、まだまだ熟練の技が必要です。
そこで、人間が文字を選んで印字していく手動写植機から、コンピューター化された電算写植に変遷していくことになります。
1965年に日本初の電算写植が登場します。

まずは印刷したい文字列を紙テープに打刻します。
この時点で現代人には馴染みがありませんが、昔のコンピューターはこの紙テープで計算をしていたのです。
さて次は、紙テープを写植機が読み取って、写植機に内蔵された文字盤から高速で文字を印字していきます。
このタイプの電算写植機だと、毎分500~1000字程度の速さで印字していました。
ちなみにタイピングの速さを競うeスポーツ大会の2023年大会決勝戦では、1分間に1000字以上タイピングする猛者達が戦っていたそうです。

ついで1970年代後半に、CRT電算写植機が登場します。
CRTとはブラウン管の1種で、コンピューターのディスプレイなどに用いられています。
つまり、ブラウン管モニター付き電算写植機ということ。
コンピューターらしくなってきましたね。
CRT電算写植機ではついに文字盤がなくなり、文字はデジタルデータとして写植機内に記憶されました。
CRTディスプレイ上にデジタル化された文字を表示させ、校正やページレイアウトを行うことができるようになったのです。
さらに、毎分3000字から10000字ほどの速さで出力できるようになりました。

写植機によって変わったこと

活字は鉛を高温で溶かして鋳込んでいましたが、これに対して熱処理の発生しない写植機での印字はCTS(Cold Type System)と呼ばれました。
文字を写真製版できるとなると、凸版印刷よりもオフセット印刷のほうがスピーディーできれいだ、ということになります。
ここで、重くホットな活字&凸版印刷から、早くコールドな写植&オフセット印刷に転換することになります。

また、CRT電算写植機の登場により、印刷会社の文字処理能力が大幅にアップし、印刷の高速化と出版の多様化をもたらしました。
それどころか、文字をデジタルデータ化することにより、情報を印刷物だけでなく様々なメディアに提供する仕組みを作り上げたのです。
このことが今日の情報のマルチメディア化に繋がっているといえるかもしれません。

特殊印刷と写植機

ヤマックス株式会社は創業以来、出版印刷ではなく特殊印刷を専門にしています。
写植は本などの出版印刷で広く使われるイメージがありますが、特殊印刷でも活用されていました。

こちらは電子製品のボタンパネルを作るための版下(いわゆる原稿)。
四角に切り抜かれた数字や記号が、台紙に貼り付けられていますね。
この数字や記号の部分が、実は写植機で出力された印画紙でできています。
印刷のための版下をつくるには、まず図面を台紙に書き起こし、必要な文字を写植で印画紙に出力します。
そして、印画紙をカッターで丁寧に切り抜いて慎重に、位置がズレないように台紙に貼っていくと版下の完成です。
当時のヤマックスでは写植が必要な部分は、写植機を扱う版下専門のメーカーに作成をお願いしていました。
現在では、文字の入力はPCの画面上で済んでしまうので写植メーカーに依頼することもなくなりました。
さて、写植機は基本的に黒色しか出力できないので、版下はモノクロになります。
でも、特殊印刷はカラーがとても重要。
カラー原稿は三色フィルター分解やカラースキャナーで分色してカラー印刷の版を作ることができますが、印画紙の写植を切り貼りして作ったモノクロの原稿からどうやってカラー印刷の版をつくればよいのでしょうか。
そこにはやはり職人の手作業が欠かせません。

ヤマックス流の方法では、まず必要なカラーの数だけ版下を製版用カメラで撮影し、ネガフィルムを作製します。
そしてネガフィルム(場合によってはポジフィルム)を塗りつぶしたり切り貼りしたりして、必要な部分だけ残してマスキングしてしまいます。
そうすることで、印刷したいカラーだけが残されたネガフィルムが完成します。
そして、凸版印刷の場合はネガフィルムを、オフセット印刷とシルクスクリーン印刷の場合はポジフィルムに反転させて版に焼き付ければ、カラー印刷用の版が完成します。
現在ではPCの画面上で処理できてしまいますが、ほんの数十年前までは手作業で分色していました。
1文字をマスキングするのに数時間かかることもあったそうです。

1960~1970年代の印刷の進化

1960~1970年代に登場したカラースキャナーと電算写植は、印刷にとても大きな変革を与えます。
カラースキャナーによってカラー印刷を量産できるようになり、情報を鮮明に伝え、印刷物を多様化させました。
そして電算写植は文字データのデジタル化を促進し、印刷の高速化とマルチメディア化をもたらしました。
印刷業界にコンピューターを取り込むことも、この2つの技術がきっかけでした。
そして1980年代にはコンピューターとプリンターを直接つなげるDTP(Desk Top Pablishing)が登場することになります。

戦後の印刷業界は目まぐるしく進化していきます。
次回のコラムでは、印刷のデジタル化について紹介します。
1980年代に登場するDTPは、印刷をより身近に、より便利なものにしてくれます。
スマホ片手にコンビニでカラー印刷をする時代まであと少し。
次回もぜひお楽しみください。

参考文献

  • 青山敦夫, 『印刷レストラン -最新の印刷事情がわかるフルコース-』, ダイヤモンド社, 1996
  • 中原雄太郎, 松根格, 平野武利, 川畑直道, 高岡重蔵, 高岡昌生監修,『『印刷雑誌』とその時代』,印刷学会出版部, 2007
  • 日本印刷技術史年表編纂委員会, 『日本印刷技術史年表』, 財団法人印刷図書館, 1985
  • 真山明夫, 『トコトンやさしい印刷の本』, 日刊工業新聞社, 2012

出典

  • 図1:国立国会図書館「本の万華鏡」>第29回 めーきゃっぷ今昔-江戸から昭和の化粧文化->広告あれこれ ―明治、大正、昭和の化粧品広告―
    (https://www.ndl.go.jp/kaleido/entry/29/3.html)

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