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コラム

印刷いまむかし現代編① 製版の効率化 ~より早く、綺麗に、生まれ変わる製版技術~

印刷の歴史

『印刷』をしたことがない方って、このコラムの読者様の中にいらっしゃるのでしょうか?
今日では印刷なんて、スマホからコンビニのプリンターにデータを送れば、何十枚ものカラー用紙が出力されます。一昔前だと、ファクシミリで手紙を送ったり、ガリ版や家庭用簡易孔版印刷器で文書や手紙を作ったりした方もいるのではないでしょうか。

生成AIで作成

このように印刷が手軽にできるようになったのは、実はとても最近のこと。たった数十年前までは、カラー写真と文章を組み合わせた印刷が印刷工場の外で何十枚も印刷できるなんて、考えられませんでした。
そして現在の印刷工場では、最新の印刷技術を駆使した美麗で高品質な印刷物が、ものすごいスピードで印刷され続けています。
印刷がここまで身近に、そして高品質になるまでに一体何があったのでしょうか。

【印刷いまむかし現代編】では、第二次世界大戦後から現代にかけて、印刷技術の進化について紹介します。80年間で飛躍的に進歩した印刷技術のうち、ヤマックス株式会社と馴染みの深い凸版印刷・オフセット印刷・シルクスクリーン印刷・デジタル印刷について、その進化をたどります。 第一回では印刷の『版』の進化についてみてみましょう。

版の進化

第二次世界大戦後、焼け残った印刷機をかき集めることから日本の印刷業界は復興しました。戦後の様々なニュースを伝えるメディア、物資に付ける値札やラベルなど、復興期のヒト・モノ・情報の流通に伴って、印刷業界は発展します。
さて、印刷の需要が増えると、より効率的に印刷をすることが求められます。よりスピーディーに、より綺麗に印刷するためにはまず『版』の進化が欠かせません。

写真製版について

現代の印刷技術について紹介する前に、まずは『写真製版』について語らせてください。
見たものを見たまま印刷する『写真』の印刷については、『印刷いまむかし近代編② 『写真』を印刷する』にて紹介しましたが、ここでもう少し詳しくご説明します。
写真製版は凸版印刷・オフセット印刷・シルクスクリーン印刷・グラビア印刷などで使用されている製版方式です。仕組みを簡単にいうと、版材の表面に感光剤を塗布し、そこにフィルムでネガを焼き付けることで、版の表面に絵柄部分とそうでない部分を区別します。
写真から版をつくるとき、絵柄は細かい点の集合(網点)に変換されます。この点の散らばりや大きさによって、グラデーションやカラフルさを再現するのです。

日本で写真印刷が始まったのは1890年代ごろで、日清戦争の様子を伝える写真が新聞や雑誌に掲載されました。三原色を使ったカラー写真が初めて登場したのは1902年。これらの技術が登場し、進化していくことで印刷表現の幅は広がっていきました。

凸版印刷の全盛期と退場

戦後の印刷技術を見ると、凸版印刷がいち早く復興していったようです。凸版印刷とは、版の凸凹を利用し、出っ張った部分にインキをつけて印刷する方式のこと。他の印刷方法と比べると単純な仕組みなので、物資や人手が少ないなかで早い復興を遂げたのです。
当時の凸版印刷で印刷物を作るときは、活字や凸版の写真版、罫線、イラストの版を一緒に組んで、1枚の紙面を作ります。1970年頃までは、書籍・新聞など大半が活字を使う活版印刷で印刷されていました。

図1   『写真週報』(291), 情報局, 1943-09

こちらの紙面は、1943年に刊行された雑誌の1ページ。活字・写真・罫線・イラストが1枚にまとまっていることがわかりますね。
また、凸版のカラー写真印刷のことを原色版といいました。凸版印刷は版をプレスして印刷するので、インキが網点の縁に多く、中心部に少なく乗ります。この現象をマージナルといい、原色版の特徴である色の力強さを作り出しています。美術的にも美しく、今でも根強いファンがいる印刷です。
しかし、凸版印刷は製版にとても時間がかかり、生産性が悪く、コストがかかるものでした。
そして、1970年代から写植やオフセット印刷が台頭してくると、次第に活躍の場を消していきました。

オフセット印刷

オフセット印刷は、終戦後に凸版印刷からやや遅れて復興が始まりました。オフセット印刷が多く導入され始めたのは、1960年代後半ごろのこと。1958年から1961年にかけての岩戸景気を境に、設備投資による生産性向上が盛んに行われるようになったのです。
ヤマックス株式会社(当時:山下マーク製作所)ではそれに先駆けて1950年にオフセット印刷を開始。1960年代には設備の近代化が進み、1963年にハイデルベルグ社製のオフセット印刷機を導入しています。

参考:ハイデルベルグ社製のオフセット印刷機 
(※1975年10月製造~2006年稼働終了 ヤマックス株式会社埼玉工場にて展示)

オフセット印刷の台頭を後押ししたのがPS版の発明です。1965年に国産が始まったPS版は、「PResensitized:すでに感光性を与えられている」との名前どおり、あらかじめアルミ版に感光剤が塗られています。それまでは印刷工が自分で感光剤を版に塗り付けていました。それどころか、戦後の物資がない時代は卵白や魚膠などを使って薬剤まで手作りしていたのだとか。そこに登場したPS版は、オフセット印刷の効率化に大きく貢献しました。
オフセット印刷は版が安く、高速輪転印刷ができ、さらに軽量であるうえカラー印刷にも適しています。そして1970年代に登場する『写植』とともに、出版の効率化を進めていきます。
このため、現在ではほとんどの出版物はオフセット印刷で作られています。

シルクスクリーン印刷

出版の主役が1970年代を境に、凸版印刷からオフセット印刷に移り変わっていきました。その変化の中で、独自の立ち位置を保っていたのがシルクスクリーン印刷です。

シルクスクリーン印刷は、紗(しゃ)と呼ばれる細かいメッシュが張られた版を使って印刷します。印刷したい絵柄以外の部分に膜を作り、紗の目を潰します。紗の上からインキを押しつけると、膜のない部分からインキが押し出され、印刷されるというわけです。

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シルクスクリーン印刷は版が柔らかいため、布や曲面といったところに直接印刷ができます。さらに様々な種類のインキが使用でき、他の印刷方法よりも厚盛にできるので、プラスチックフィルムやガラスなどへの特殊印刷に最適です。
1960年に大ヒットしたおもちゃ『だっこちゃん』もシルクスクリーン印刷で印刷されていました。『だっこちゃん』は半年間で240万個が販売されたそうです。
ヤマックス株式会社では1952年ごろから転写マーク用のシルクスクリーン印刷を開始します。1960年代の印刷近代化の時代には、国産初のスクリーン印刷機を1965年に導入しています。

参考:スイス製ロールスクリーン印刷機、ヤマックス株式会社にて撮影
(1979年設置~2021年稼働終了 ヤマックス株式会社新大阪工場にて展示)

戦前のシルクスクリーン印刷は、インキの厚盛ができるけれど精度の低い印刷という評価でした。しかし、1955年にシルクスクリーンの写真製版が始まるとその精度は格段に高まりました。同年にはプリント配線にシルクスクリーン印刷が活用され、IT界でも活躍しています。

ヤマックスでの製版

ヤマックス株式会社では、凸版・オフセット・シルクスクリーンの版を社内で製造しています。
現代の印刷工場で行われている製版について、コラムでご紹介しています。

印刷基礎知識⑤~メッシュで版をつくる?!スクリーン版/グラビア版学習日記~

印刷基礎知識⑥~スタンプとは言わせない!奥が深い印刷版 樹脂版/オフセット版の学習日記~

印刷版の近代化

戦後の高度経済成長期では、大量生産だけでなく生産の効率化が求められました。また、技術の進歩によりIT化が進む中で、印刷技術も効率化が進んでいきました。
新しい技術がどんどんと生まれるなかで、1440年に誕生して以来印刷の中心であった活版印刷は、時代の流れによってついに一線を退いてしまいます。

次回のコラムでは、印刷をさらに効率的に進めることになる『カラースキャナー』と『写植』についてご紹介します。近代印刷の大きな転換点となった1970年代前後に実用化されたこの2つの技術は、印刷をどのように変えたのでしょうか。

次回もぜひお楽しみください。

参考文献

  • 高垣良平,『郡上スクリーン印刷伝』, 有限会社ロフロデザイン, 2020
  • 中原雄太郎, 松根格, 平野武利, 川畑直道, 高岡重蔵, 高岡昌生監修,『『印刷雑誌』とその時代』,印刷学会出版部, 2007
  • 日本印刷技術史年表編纂委員会, 『日本印刷技術史年表』, 財団法人印刷図書館, 1985
  • 真山明夫, 『トコトンやさしい印刷の本』, 日刊工業新聞社, 2012
  • 山下保, 『四十年のあゆみ』, ヤマックス株式会社, 1989

出典

図1:国立国会図書館「本の万華鏡」>第32回 鉄道が変えたコト・モノ>第4章 旅行・観光(https://www.ndl.go.jp/kaleido/entry/32/5.html)

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